FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

第三極とは何だったか

総選挙は自公の勝利に終わった。民主は議席をやや伸ばしたとはいえ、復活は今後とも無理だということをむしろ示した。問題は第三極だ。12年の選挙では自民・民主に代わる第三極として注目されたが、今回の選挙に至るまでの二年間において、混迷に次ぐ混迷を極めたといえる。

09年の結党いらい私も期待していたみんなの党は、安倍政権に寄ろうとした渡辺喜美と野党再編を目指した江田憲司に分裂した。江田はその後、結いの党をつくって維新の会に合流。維新の党として選挙に臨んだが、結果は現状維持、あるいはむしろ停滞だった。江田と別れた渡辺は浅尾慶一郎とともにみんなの党として残るが、この二人もやがて与党再編か野党再変かをめぐって喧嘩別れした。

他方、政界再編を太陽の党との合流から始めてしまった維新の会の橋下徹は、次には結いの党との合流を果たそうとして石原慎太郎とたもとを分かつ。石原らは次世代の党を結成するが今度の選挙でほぼ壊滅してしまう。

渡辺と江田の対立、また石原と橋下の対立(不可解な野合とその解消)、さらには渡辺と浅尾のミニ対立、これらはすべて、与党の再編を追求すべきか、野党の再編を目ざすべきかをめぐる深刻な路線対立だった。第三極の困難はすべてここにあった。

民主党政権時代に産声をあげた第三極の人々の最大の誤算、それは皮肉にも、保守であるはずの自民党のなかから、安倍政権というきわめて改革的な政権が誕生してしまったことにある。そのため第三極は、安倍政権に対して矛盾した対応を取らなければならなかった。すなわち党内の既得権益派や財務省派を一時的に抑え込めたことで成り立っている安倍政権を、一方では右から支持しなけらばならず、他方では、その改革の徹底を迫るためにも、民主党に手を伸ばして野党再編を追及せざるを得なかった…、そういうジレンマに立たされた。

「第三極」とはもともとみんなの党が言いだした言葉だったが、そのみんなの党が打ち出したインフレターゲット論が「アベノミクス」になった。維新の党もこんどの選挙で、もはやアべノミクスを前提にしたうえで、その不徹底を批判するしかなかった。「既得権益に斬り込み、実体経済を成長させる第三の矢がかけ声だけに終わっている」、それが問題だとマニュフェストで述べていた。

だが橋下徹が推し進めようとしている大阪の行財政改革は、規制緩和(正確には規制改革)を基本とするアベノミクスの第三の矢に包摂されつくさない。むしろアベノミクスを「右」から推し進めようとするものといえる。たとえば安倍政権の地方創生が、ともすれば旧来の財政的バラマキに終わりそうなのに対して大阪都構想は、地方行財政の縮小・簡素化・民営化に道を開くものだ。それによりGDP・従業員数ともに7割以上を占める「ローカル経済圏」(冨山和彦)の再編を実際には「右」から後押ししようとしている。

ローカル圏ではまだまだ低い日本の労働生産性を高めるには、既得権益に守られた「団塊の世代」の退職を待つことなく、限定正社員の導入をはじめ、雇用のルールを再構築しなおすほかない。「同一価値労働=同一賃金」の原則は全体としての雇用の流動化の中で実現しなければならない。いま解雇規制に守られているのは事実上は大企業の正規労働者だけであって、圧倒的多数の中・小・零細企業ではほとんど解雇自由。規制は有って無いようなものだという。

2015年は企業に対しても厳しく迫る必要がある。法人税を20パーセント台に減税する代わりに、「外形標準課税」を大幅に導入し、受益者負担の原則に基づき赤字の企業からも税を徴収しなければならない。これはきわめて分かり易く、有効な、企業再編への後押しだ。中小企業に対しても「退出」への補償や融資を図らなければならない

アべノミクスにより地価の下落に歯止めがかかったが、それでも下落し続けている都市や地方は多い。地方の人口減少に歯止めがかからない以上、自然な成り行きであるとはいえ、このバラつきに注目すべきだ。つまりすべての地方を「創生」することなどもはや不可能であり、取捨選択が要るということだ。「コンパクトシティ化と駅前商店街の復活」(冨山前掲)に限定される政策がこれからは必要になる。それには行政がきっかけを与えるほかない。

つまり何を言いたいのかというと、「みんなの党」にはじまり「維新の党」で終わった第3極は、安倍自民党に対して、基本的な間違いを犯していたのではないかということだ。「第3極」の名は保守の自民、リベラルの民主に対して、両者の間に立つ第3の極という意味だったが、もともと両者の間に立つことなどできなかった。まして経済(アベノミクス)以外は自公調整による緩慢な歩みで事を進めようとする安倍自民に対し、有効ではなかった。そうではなく改革的な安倍政権に対してより明確な改革を「右」から提案して迫る以外になかったのだ。これまでもそうだったし、これからはそれこそが存在意義となる。

今度の選挙で破綻が明らかになったのは、みんなの党と維新の党の第3極だけではない。もう一つ、じつは元祖第3極と言うべき民主党も、議席を少し増やしたとはいえ、実質的には敗北した。将来、野党再編の中心になれないことが国民に見抜かれ、突き放されたのだと思う。

民主党がなぜ元祖第3極なのか。それは民主党が90年代に、55年体制の「保守」と「革新」を構成してきた自民党と日本社会党の間から、その間にある雑多な中間物を糾合するようにして生まれてきたからだ。民主党はそうやって社会党に取って代わり、残った社会党は社民党になった。今回の選挙は、民主党という過去の第3極を含め、第3の極という政治的ポジションそのものを破綻させたことになる。

この選挙で共産党だけが躍進を遂げたことの意味は何か。55年体制という日本の古層が顔を出したということだ。共産党は自共対決の時代が来たと喜んでいるが、共産党や社民党が主導して野党をまとめ、自民党と対決することなどはこれからもないだろう。なぜならこれらの政党は実際にはリアルな政権構想を持っていないからだ。国家という国民に承認された組織体が、その限りで一定の価値を帯びた厳粛な存在(主権国家)であることを認めず、国家と個人をひたすら対立するものとのみ捉える。その意味では最も古い自由主義・近代主義(ジョン・ロック)にこれらの社会主義政党は立ち返っている。

しかしそれも納得の行くことだ。社会主義にシンパシーを抱いてきたこれらの政党にとって、近代の国家とはあくまで資本主義国家(階級国家)だ。したがってこれらの政党にとって政治活動とは、国家というものが本質的に労働者・国民・市民の利益に反するものであることを、政治・経済・社会のあらゆる分野で暴露し、啓蒙することとなる。その政策は、そこでのシングルイシューを、優先順位を付すことなく全部足し合わせただけのものとなる。社会主義の孤立と消滅に伴って彼らはもう隠れキリシタンのように自らの出自を忘れているが、国民の多数はすでに彼らのことを「左巻き」の「反日」勢力だと見抜いている。

問題は民主党自身がそういう古い、後退した議論しかできなかったことだ。集団的自衛権や特定秘密保護法(スパイ防止法)をめぐるこの間の議論を見ても、民主党の中にはアジアにおける中国の脅威など意に介さず、国家意識を欠落させたまま、大昔からの「戦争巻き込まれ論」や言論弾圧論を素朴に訴えるだけの人たちがいる。(大学やジャーナリズムや文化人など多数の…)。総理になって「初めて抑止力の大切さを学んだ」鳩山首相から、財務省の言いなりになって消費増税を取りまとめた野田首相まで、振れ幅は大きいが、古くからある左翼リベラルと自民党との間のどこかの位置に、自分たちのポジションを決めようという発想法によってここまできた。雑多な彼らを一つにまとめる求心力の根源はただ連合労組ではないだろうか。具体的にはグローバル企業の正規労働者と自治労組合員だ。

2015年からはどんな年になるのだろう。日本の古層の一画には、さきほど見たような55年体制以来の堅固な岩盤(共産・社民)がいまだに存在しているが、そこに将来、大きな政治勢力が生まれるとは考えにくい。民主党的なものが彼らを包摂するとも思えない。そういうことが起こらないまま、自公勢力が全体として肥大していくのではないだろうか。そうして維新の党のようなものがそれを右から批判する。自公勢力の分岐・分解を図る。それは当分の間、「政局」になるものではないだろう。新しいものはまだ見えていない。






関連記事
スポンサーサイト
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。