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部落解放運動は何をめざす運動か--融和か解放か

『こぺる』8月号に石元清英(関西大学)が寄稿している。「全国水平社九〇周年に思うこと--いま運動は何に向き合うべきか」。これを読んで改めて思ったことは、石元はやはりわたしと似た問題意識を持っているということだ。部落解放同盟の運動が、自らの責任を問わず、自らのあり方を見つめ直すことのないまま、外の部落差別ばかりを問題視して今日に至ったこと。そういう批判意識はわたしと共有している。

しかし方向は同じでも、部落問題として、世間にむけていま何が問題提起されるべきかとなると、わたしと大きく違ってくる。このことについて書いてみたい。そしてこれは部落解放運動とはもともと何をめざす運動だったのかという基本に関わることなのである。
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石元は今年2月に公表された部落解放同盟の「2012年度一般運動方針」を取り上げ、次のように述べている。「運動方針を読んで、やはり強く感じるのは、部落の外に対する闘い、部落の外に対する責任追及に運動の重点が置かれているという点である」。

石元が言うには、「運動方針」では土地差別調査事件やインターネット上の差別事件、戸籍謄本の不正請求等々、部落の外に向けられたものが多い。たしかに「人権のまちづくり運動」や「部落産業の育成」、「地域の教育・保育・文化活動」など、部落の内側を改善する課題も挙げられてはいるが、その場合も国や自治体に施策や就学援助の拡充を求めるなど、いわば部落の外に対する取り組みとなっている。

それに対して石元は、一見、唐突に見える二つの課題を提出する。
「しかし、部落の内に対する取り組みの課題は、別のところにあるのではないだろうか。それは部落において増加していると予想される子ども虐待とドメスティック・バイオレンス…(略)…という重大な人権侵害に部落解放運動がどう向き合うのかという問題である」。

むろん部落の実態分析の専門家である石元のことだから、子ども虐待もDVも、今日の部落に起きている多くの事例を踏まえてのことだろう。しかしそれ以上に、部落解放運動と長年、付き合ってきた石元が、現在の地点からこの運動をつくづくふり返ってみて、最後にこれらのテーマに行き着いたことには必然的なものがある。わたしが斟酌するまでもなく、論文の最後には以下の結論が述べられている。

「子ども虐待とDVは、深刻で重大な人権侵害である。部落解放運動は、この部落内における人権侵害に真正面から取り組むべきではないだろうか。これまでの差別者側の責任を追求し、部落外に向かって差別の不当性を強く訴える運動だけではなく、自らの足下における人権侵害を注視し、部落の内に向けた人権擁護運動が開始されるべきである。それは全国水平社創立宣言にある『人の世の冷たさがどんなに冷たいか、人間を勦る〔いたわる〕事が何であるかをよく知っている吾々は、心から人生の熱と光を願求礼賛するものである』という思想を部落内で具現する運動となるのではないか」。

この子ども虐待やDVの克服という課題は、石元にとって、部落解放運動が最後に、自分自身を解放すべく到達した必然的な課題なのである。水平社宣言の思想を、「人間をいたわることが何であるかを知ること」にあると解釈し、その実現をこれらの課題の遂行に見たのだ。

部落解放運動の究極のテーマを、部落住民自身の弱さの克服に求めた点で、これは住田一郎の「部落民の〝内面的弱さ〟の克服」に相通ずるものがある。住田も部落解放運動の究極の課題を、部落民自身による自らの弱さの克服に見たのだった。石元のそれは、その家族版?といえるかもしれない。

だがそれだけではない。この論文がさらに興味深いのは、この課題は石元により今はじめて指摘されたのではなく、近年の部落の歴史そのものにより、いわば焙りだされてきたものだとされている点である。部落はその運動の最後に、自らの子ども虐待とDVの現実に直面することになった。この「人権侵害」に対する課題は、もともと全国水平社以来の思想の中心にあったのであり、それが歴史の最後に現れてきたというのだ。

このことは私の勝手な解釈ではない。石元自身がそのようなものとして戦後の部落の歴史を構成している。外の差別のせいだとはもはや言えなくなった新しい貧困が部落の歴史の最後に生じてきた。それが子供虐待とDVを生んでいる。このように構成しているのだ。

子ども虐待が貧困層で顕著に生じる社会問題であることは、すでに児童福祉の専門家のあいだでは共通の認識になっているという。またDVも同じで、貧困が個人を社会的に孤立させ、その自尊心を傷つける。生活のゆとりを奪い、ストレスを蓄積させ、女性に対するちょっとした〝見下し意識〟をDVへと発現させてしまう。

石元はこの現在の部落の貧困は新しいものであり、歴史的な生成物だという。それを就労状態と階層移動から客観的に描いている。

50年代から70年代にかけての高度経済成長の時代、中卒者が金の卵だと言われだした1962年以降はとくに、部落の就労状態には、年齢が若くなるにつれて安定化する傾向が見られた。しかし90年代に入るとこの傾向は鈍化し、やがて逆転してしまう。50代と40代を比較すればまだ40代の方が安定的だが、40代と30代・20代を比べると、年齢が若くなるにしたがって、横ばい状態か、逆に不安定になってきたという。

こうした就労の変化・不安定化の背景には、90年代以降、部落から経済的安定層が大量に流出するようになった事情がある。なぜ流出してしまったか、それを石元は、60年代以降の改良住宅や同和向け公営住宅が次第に手狭になり、安定層の経済水準に見合わなくなってきたからだと説明している。そして他方、その流出分を埋めるようにして、雇用・給与形態が「原住者」以上に不安定な「来住者」が、低家賃をあてにして流入してきたのだという。

このようにして90年代、都市型部落の貧困化は進んだ。この傾向は「法」終了後10年が経過した今日、さらに加速しているという。さらなる高齢化、就労の不安定化、生活保護所帯の増加などなど…。

「こうした都市型部落における貧困化の進行のもとで、部落解放運動は何に取り組むべきなのだろうか」。こう石元は問い、次のように答える。
「それは仕事保障、生活保障のための新たな同和対策事業を求めることではない。まず、取り組まなければならないのは、貧困化のために確実に増加していると考えられる子ども虐待とDVに対する取り組みである」。


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さてここからが私の論評になる。
A 人権擁護か部落解放か(…あるいは融和か解放か)

石元は、都市型部落の貧困化のもとで部落解放運動は何をすべきかと問うているが、その貧困化の過程を、部落の階層移動として客観的に記述しているだけだ。この過程を運動との関連では何も明らかにしていない。安定層の流出にも不安定層の流入にも部落解放運動はかかわっていないことになる。(ただしこれは石元だけではない。山本尚友や奥田均など他の研究者の実態分析でも同じ)。

だがもしこの経過に運動が関わっていないのなら、部落の現在の貧困に対し、したがってまたこども虐待とDVに対しても、部落解放運動に責任はない。身近なところで新たな課題が見えてきただけのことだ。そしてその場合には、子ども虐待やDVの課題は別の意味を帯びてくる。これらはそのとき、貧困化した部落住民による自らの〝生活改善運動〟のようなものになる。

はじめに述べたように石元は、部落解放同盟の運動が、自らの責任を問わず、外からの部落差別ばかりを問題にしてきたことへの批判意識から出発していた。これまでの運動を反省し、自分たちの足下を見つめ直し、そこから新しい課題に取り組むべきではないかという問題意識はわたしにも共有できるものだった。何が違ってきたのだろうか。

論文はここにいたるまでの〝両側〟の関係を正確にたどっていない。というよりほとんど無視している。それをしないまま、〝これまでの部落解放同盟の運動は部落外に一方的に責任を押し付ける運動であり、これからは自分自身の足下にある課題に取り組まねばならない〟と、一方の極(部落外責任論)から他方の極(部落内責任論)へとブレている。

戦前の融和運動にはくっきりと、(戦後の同和行政にもいくぶんかは)、現れていることだが、近代の平等主義は前近代から持ち越された部落差別に対して、二正面で対処しようとした。一つは部落外の人々の古い意識・古い偏見に直接働きかけ、啓蒙することで〝同情融和〟を果たすことだ。そしてもう一つは、差別の原因になっていると思われる部落の不衛生・貧困・風俗びん乱等々を世間並みに改めること。つまり部落の<特殊>なあり方を世間<一般>の水準に引き上げることで融和を図ろうとした。つまり部落の内と外の両方に対してばらばらに働きかけ、部落差別をなくそうとした。部落の内に対しては部落改善運動や更正運動により部落を改めようとした。

それにたいしてわたしは、部落解放運動とは本来、部落差別そのものをなくそうとする運動であり、部落/非部落間の関係を変えようとする運動だと述べたい。つまりそれは、部落外の人々の〝差別意識〟なるものをそれだけ切り離して指弾するものではないし、また逆に、部落側のあり方に、差別される〝根拠〟を見つけ、それを改め、格差を是正しようとするだけの運動でもない。そうではなく両方を同時に変える、つまり両側が「共同の営み」として、この問題にとりくもうとする運動である。

それは部落/非部落の両側が、対話(あるいは闘い)を通じて互いの関係を見つめなおし、「差別・被差別関係総体の止揚」をめざすという、まさに『同和はこわい考』が打ち出したものだ。石元の今回の提案は、部落差別が今どうなっているか、部落/非部落関係がいまどうなっているかを抜きにしたまま、部落側のあり方だけを切り離して問題にした議論ではないだろうか。

論文の結論は、子どもと女性のための「部落の内に向けた人権擁護運動」こそが、水平社宣言の思想を実現するものであるという。それは先にふれたように、宣言最後の次の箇所の解釈に関わっていた。『人の世の冷たさがどんなに冷たいか、人間を勦る〔いたわる〕事が何であるかをよく知っている吾々は、心から人生の熱と光を願求礼賛するものである』※

※この「人間を勦る事」の意味を石元は、吾々こそが本当の意味で「人間を勦る事が何であるか」をよく知っているのだ、と肯定的に解釈している。だがネットで調べれば分かるように、そういう解釈をしない人も多くいる。そういう人たちはこの箇所を、宣言の初めの方に出てくる「人間を勦るかの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕落させた」の箇所と同じ意味で否定的に理解している。つまりこの箇所を、〝人の世の冷たさや人間を勦るかのような事が何であるかをよく見抜いている吾々は…〟と否定的に解釈する。おそらく融和運動への過度の批判がそうさせたのだろう。また紛らわしいことに、この「勦る」という語は〝かすめとる〟など、否定的な意味を持っている。この漢字が当て字として使われてしまった。しかし多くの現代語訳がこの「勦る」を、「いたわる」とか「労わる」とすなおに言い換えている。そうするほうが「いたわる」の両義的な意味が生かされ、意味も良く通る。そして石元のここでの解釈をも可能にする。

わたしは石元のこの解釈に賛成である。人間が人間を〝冒涜〟することを止め、自ら進んで〝尊敬〟しあえるようになるなら、他の人々を〝いたわる〟ことの意味も本当に分かるはずだ。宣言はそう述べている。解放の思想が融和の思想をより高い次元で復活させ、奥深いものにしている。部落解放の思想が近代の〝人権擁護〟の思想を深めていると言ってもよい。石元の解釈はこの箇所に新しい光を当てたものとして高く評価したい。

だがそれならなおのこと、この「人間をいたわる事」の本当の意味は、「人間を勦るかの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕落させた」という事実を、水平社が乗り越えて到達したものと理解されなければならない。融和運動を乗り越え、闘う水平社を創設した人たちは、まるで戦後の部落解放運動の腐敗や「勦るかのごとき」同和優遇政策の命運を見抜いていたかのようだ。

B 橋下改革に抵抗する論理

部落差別の結果だとはもはや言えない、現在の部落の貧困は、どういう経緯で生まれてきたのか。これも歴史的には運動と同和行政の失敗の結果ではないだろうか。石元は同和公営住宅の家賃のしくみが部落の階層変化に影響を及ぼし、それが部落の新しい貧困を生み出したという。そしてこの経済的要因が子供虐待とDVを生んだという。

しかし大阪市役所の刺青問題(後述)が浮かび上がらせたように、現在の部落の貧困も以前と同様、経済的貧困に限らない。現に恵まれた公務員が問題を引き起こしている。また経済的貧困がそれだけで部落差別を持続させているとするべきではなく、経済的貧困・DV・子供虐待・「刺青」など…のすべてが、来住者も多いとはいえ現在の部落の貧困を形成している。

石元が重視している、同和公営住宅(の家賃体系)が部落の階層移動に影響を及ぼしてきた問題は後で考えることにして、わたしは現在の部落の貧困も、たんにDVやこども虐待をめぐる「人権擁護」の観点からだけではなく、やはり部落問題として、〝部落差別〟の観点から重視されるべきだと思う。

それらはやはり地域にあって、社会に対して〝部落民〟のイメージをリアルに提供している。しかし同和対策が本当に必要だった同対審答申の時代とは異なり、もはや貧しいから差別されるというのではなく、税金を投入され、社会から支援されて豊かになったはずの公務員の不祥事が止まらないから不信の眼で見られているのだ。

DVも子供虐待も、もしそれらが広く世間に知られているとすれば、〝同和不祥事の公務員の出身地で起きている出来事〟なのである。石元はDVや子供虐待を部落の階層移動(経済的貧困)から説明することにより、この経緯を運動や同和行政の失敗と責任として総括する視点を失ってしまっている。

今、運動側が世間に対して問題提起すべきことはしたがって、ここに至った運動の間違いをありのまま認め、打ち明けた上で、たとえば大阪の橋下改革に対して、なお下からの改革を提案するとか、一般施策の名の下で部落のための必要な行政措置を求めて行くことになるのではないだろうか。すでに遅きに失してはいるが、最後までこの方向を探りたい。(この点は前々回の全国交流会で住田一郎が述べていたことである)。

いま日本の社会で、特に問題にすべき部落差別など、新たに生じてはいない。ほぼゼロだ。部落に関わる差別的な行為も言動も、社会レベルでは何年も前から、だれも見たことも聞いたこともない。狂言によるもの以外は…。しかし部落問題や部落差別というものが消滅したかというと、じつはまったくそうではない。

それは大阪の橋下市長の市政改革として、新聞、テレビ、ネットで、〝同和〟の名を伏せたまま、いまも報じられ続けている。事情通でなくても、この間に報道されてきたさまざまな不祥事が〝同和〟に関係があることを知っている。ニュースを見るたびに多くの人々が〝部落〟・部落問題を瞬時に意識する。にもかかわらず〝部落〟はタブー視され続け、その名を誰も口にしない。そのようにタブー視する意識がなくなっていないのだから、部落を差別する意識も、どこかで残り続けていると見なければならない。

以前にも増して部落解放同盟もその〝関係者〟も、そして旧全解連系の論壇も、公務員の同和不祥事を問題にしなくなった。マスコミもそれを〝同和〟の問題だとははっきりと報じなくなった。また橋下やマスコミがその名を出さないことをよいことに、〝部落の隠蔽はよくない、カムアウトすべきだ〟と述べてきた研究者も、月刊誌「こぺる」においても、この問題に言及する論考はほとんどなくなった。〝部落〟に関係のあることだとはみんな知っているのに、だれもそれを口にしないという奇妙な事態が続いている。おそらくそれぞれが橋下改革に抵抗する論理を探しあぐねているのだろう。昨年暮れのW選挙では、自らの既得権益を守ろうと大同団結したが、いざ改革が始まると、圧倒的な民意と良識に照らし合せ、自分たちに大義のないことが分かったからかもしれない※。

※本稿を準備していた先月末、新聞でうれしいニュースを見つけた。2010年6月、大阪市環境局河川事務所で、同僚が清掃中に金品を着服している行為を隠し撮りし、内部告発したにもかかわらず、平松市政下でインネンをつけられ、いっしょに懲戒免職されてしまった職員の事件があった。着服は労働慣行のように常態化していたという。その職員の処分取り消し訴訟に対し、大阪地裁が処分不当の判決を下したのだ。当然である。判決は、「内部告発の結果、【ネコババ慣行に】是正が図られており、男性の処分の内容を選ぶ際に有利な事情として考慮すべきことは明らかだ」というもの。橋下市長は報道陣の取材に、「僕は内部告発を守る、できる限り守っていくということをやっていきたいので、控訴しない方針を(担当部局に)伝えた」と述べた。(2012年8月30日、朝日新聞)

したがっていま部落差別の問題は、くりかえすが、同和行政や〝同和不祥事〟というものを、運動側に最後まで関わってきた〝関係者〟が、どう総括し、部落外の人々にどう説明するかの問題として残っている。部落差別をここで断ち切るか、これからも長引かせるかは、われわれがこの問題で社会を納得させられる総括を示せるかどうかにかかっている、とわたしは思う。

ここで大阪市職員の刺青(タトゥー)問題を例に考えてみよう。
まず事実経過。

①大阪市環境局はすでに2010年5月の段階で、職務倫理に関する内規を施行、この中で「タトゥーまたはこれに類するものをしてはならない」と決めていた。

②しかし昨年、市民から、「入れ墨をしたごみ収集職員がいる。問題ではないか」との意見が寄せられ、同局は今年2~3月、内規が守られているかどうかを記名式で調査する。職員に刺青の有無や刺青を入れている体の部位などを尋ねた。同局は、刺青をしたと答えた職員には、可能な限り消すように指導したという。

③ところがこれと並行して2月、福祉施設に勤務する市役所職員が、児童たちに入れ墨を見せ、「“アホ、ボケ、殺すぞ”と脅しまくっていた」(SAPIO2012年6月27日号、たぶん事実)ことが判明する。

④橋下市長はこの一件をきっかけに、全職員の「入れ墨調査」に乗り出す。調査は5月、市教委所管の教員らを除く約3万3500人を対象に実施。腕など人目に触れやすい部位については業務命令で、その他の部位は任意で回答を求めた。この結果、環境局73人、交通局15人など114人が入れ墨をしていると回答。そのうち、98人が他人の目に触れる部分に入れているという。また環境局の申告者の半数は採用後に墨を入れていた。そして13人が回答を拒否。その後回答を求める職務命令が再度出され、6人が拒否を続けた。

⑤大阪市労働組合連合会(市労連。組合員約2万8000人)が、『「入れ墨に関する調査」を実施した市側姿勢に抗議する!』との抗議文。その主張は以下。
〈人が身体に入れ墨やタトゥーを施すことは、個人の表現の自由であり、幸福追求権、人格権の一発露であり、プライバシーである。入れ墨等を施し、これを他人に見せるか見せないか、知らせるか知らせないかは全く個人の自由であって、何人からもその存在を意に反して表明することを強制されるべきものではない〉

⑥市は懲戒処分の妥当性を判断する第三者機関(市人事監察委員会)の答申を踏まえ、処分内容を検討。6人に対し、8月28日付で処分を行うと通告した。市は6人を減給もしくは戒告処分とする方向。ただし9月1日付の橋下のツイッターによれば、「今回、回答を命じたのは、見える可能性のある肢体や首部などです。見えない所については任意です」とのこと。ただし見えない部分でも、刺青は倫理規定上、禁止にしている、とも。

⑦回答を拒否した6人のうち処分を不服とする3人は、市人事委員会に不服を申し立て、認められなければ訴訟に踏み切る方針。建設局の男性職員(57)は「職務命令で回答を義務付けること自体に正当性がなく、納得いかない」。「違法性のある調査をもとにした処分は不当で、懲戒権の乱用にあたる」。入れ墨調査の是非が、市と職員の法廷闘争に発展することになった。

以上の経過から明らかだとおもうが、この問題は同和採用された現業公務員による職務規律のゆがみ、もっといえば〝異常な〟(橋下談)就労状態から出発した問題であり、そして地に落ちた行政サービスをいかにして世間並みにまともなものに回復するかの問題だった。そしてその方向を世間は支持している。自浄能力を欠いたままその事態を今日まで放置・加担・参加してきた部落解放運動(全解連系を含む)や市の労働組合が、どんなきれいごとを述べようと(⑤)、まったく通用しない。もともと職場環境や労働慣行などは、法解釈を含め、そのときの労使の力関係や時代の風潮で決まってしまう微妙な問題だ。外に向かって労使がそれぞれどんなアピールをするかが法廷闘争の帰趨をも決めることにもなる。

もし部落解放運動が必要な自己批判から始め、遅まきながらも採用公務員を正しく支え、その生活態度を改めさせるなり、行政サービスの向上に寄与するなりしていたなら、こんな刺青問題など起こるはずも無かった。こういう動きがすこしでもあれば、それ自体としてはきわどく、問題も多い橋下改革に対し、下から抵抗することも可能だったはずなのである。優先雇用された部落民がもしまわりのみんなから支持され、愛されていたなら、環境局が新しい文化の発信源になっていると、好意的なニュースになっていたかもしれないのだ。今回の刺青問題とはそういう問題なのである。

C 新しい貧困は同和住宅の家賃体系のせいか

これまで見たように石元論文は、部落のこども虐待やDVが経済的貧困から直接もたらされたように描くことによって、それらが運動と同和行政の失敗の結果でもあることを隠蔽してしまっている。それを端的に示すのが大阪市役所の刺青問題だった。見えてきたものは、経済的には恵まれていたはずの現業公務員の、お気楽で荒んだ姿であり、そういう彼らの周辺で、子供虐待やDVが起きている可能性があるということだ。

だがそれとはべつに、同和公営住宅の家賃の仕組みが、それだけで九十年代以降の部落の経済的貧困をもたらしたのか、この新しい貧困に運動と同和行政はまったく関係がなく、責任もないのか、この問題を最後に検討しておこう。

まず安定層の流出と不安定層の流入は同和住宅の家賃の仕組みだけから導けるものなのか…。
今は数値を示せないが、以下、素人目線で思いついたことを大雑把にでも述べておきたい。

まず安定層の流出について
九十年代の応能応益原則の導入により、部落の安定層にとっては公営住宅の家賃が相対的に高くなり、部落外に流出した、とはよくいわれることだ。しかし戦後の部落にきわだって特徴的な職業は、高度成長時代は土建業であり、以後は現在に至るまで、公務員なのだ。それが〝部落産業〟だった。その意味では、井上清がかつて唱えた「部落の三位一体」(身分・地域・職業)のひとつとして、〝部落産業〟は、今も続いているのだ。(ちなみに京都市では、96年時点で、全体の41.9%が公務員だった)。

つまり何を言いたいかというと、部落の一部の安定化、富裕化といっても、それは部落住民の地域経済における自生的・自立的な所得上昇によってではなく、行政により与えられた公務員という職業によるものであった。そのため地域に根ざした他の職業を選択することもできず、流出に歯止めもかからなかった。そういう面もあったのではないだろうか。安定層の流出は、部落に〝にぎわい〟がなく、運動が魅力ある〝まちづくり〟や〝ムラおこし〟に失敗したことと無関係ではないだろう。

不安定層の流入について
不安定層の流入、増加も、たんに部落にとって迷惑な話ではなく、運動の無為・無策の結果、あるいは部落住民が自ら招きいれた面もあったはずだ。90年代の法改正(応能応益家賃の導入)後も、同和公営住宅では家賃滞納はありふれたことだったし、入居は現在よりはるかに有利で安く、好条件だった。来住者の多くは〝同和関係者〟の遠い縁故やツテを頼ってのものだったはずだ。

公営住宅による貧困化                      
だが以上の、部落解放運動の問題をはらんだ階層移動(流出・流入問題)とはべつに、やはり石元が述べているように、同和住宅の家賃体系が90年代に変化し、そのため部落の階層移動が生じ、結果として部落の貧困化が進んだという事実は残る。この事実経過の意味を、運動との関係で捉えておくことが必要だ。そうしなければこれから部落をどうしていくかという問いに答えられないことになる。石元が指摘したこの経済的な過程の意味を、本質論的な次元においてではあるが、できるだけ明らかにしておきたい。

「同和公営住宅」も「改良住宅」も市町村営住宅であり、国からの補助が3分の2もある低家賃住宅だったが、1996年の公営住宅法の改正にともない、ともに応能応益家賃が適用されることになった。同和住宅へのこの適用により部落の階層移動が進む。

そこで同和住宅へのその適用の意味を考える前に、まずこの一般の公営住宅法の改正それ自体について見ておこう。

この改正のポイントは大きく二点あった。
第一に、入居資格に、より厳しい所得制限を課した。従来は収入が下から17%以下の1種と17~33%の2種の二本立てだったものを、低位25%以下に一本化した。
第二に、家賃に応能応益方式を導入した。従来は法廷限度額方式(原価償却方式ともいう)であり、団地ごとの建設費(補助金を除く)の減価償却費+修繕費+管理事務費+地代で計算していたが、それを改め、立地条件や利便性を加味した「応益」と、入居資格者の所得に応じた「応能」の家賃体系に切り換えようとした。

この改正の基本的な性格は、入居対象階層を下方限定し(25%以下)、公営住宅を救貧住宅に押しとどめる〝救貧化〟だった。もともと公営住宅は社会福祉的・救貧的な性格をもっていたが、バブル崩壊後の行財政改革(橋本内閣)の下、救うのは25%未満に限り、それより上は民間市場にゆだねるほかなくなったのだ。

この公営住宅法の改正とその同和住宅への適用に対し、『部落』97年7月号では、元大阪府知事選候補(共産党推薦)であり、都市自治研究所長だった角橋徹也が、微妙で複雑な論評をしている※。

※『公営住宅法「改正」・応能応益家賃制度で、同和住宅の特別扱いはなくなる----「一般施策」移行の突破口----』 なおこの角橋論文は、その後すぐ、全解連の声明「同和施策住宅の一般対策移行に関して----応能応益方式家賃の導入で、家賃と管理の適正化の促進を----」(97年9月3日)に生かされる。

角橋はこの論文で、まず公営住宅法の改正そのものへの評価をしている。
第一に、改正は入居対象を下方限定し、公営住宅を救貧住宅に押しとどめる〝救貧化〟であり、
第二に、それ以外の多くの人たちを民間市場に委ねてしまう〝市場化〟であり、
第三に、公営住宅の役割を市場の補完物とすることで、民間住宅産業の活性化をはかる〝民活化〟だとした。

そしてこの法改正は、以上の「三点を盛り込んだ公共住宅政策の総決算をねらいとするもので、とても賛成できない」とした。

左翼的な思考の特徴は、25%以下の〝救貧〟されるべき人たちに対しても、それ以上の〝市場化〟される人たちに対しても、どちらにも良い顔をしようとすることだ。そういう八方美人的な方針が可能なのは、「民間住宅産業」(大企業)を敵視し、国や行政が国民の住宅に全責任を負っているかのような前提をあらかじめ持っているからだ。時間軸の中で、全体としての経済成長や国の財政をどうするかという視点をあらかじめ欠落させているからだ。

しかしそれはともかくとして角橋は、法改正には「とても賛成できない」が、それが同和公営住宅や改良住宅にも適用され、「応能応益家賃」が導入されることには賛成だという。それにより同和住宅の特別扱いがなくなり、「一般施策」に移行する「突破口」になればよいのだという。

同和公営住宅の家賃も改良住宅の家賃も、同和減免を理由に法廷限度額をはるかに下回る家賃減免を受けてきた。そして同和住宅の管理は不公正・乱脈を極め、以下、四点に見られるような「逆差別」の実態が、国民の鋭い批判の的となっている…と角橋はいう。

第一に、部落には公営住宅の建築戸数が相対的に多く、同和地区住民は特別に優遇されている。たとえば大阪では地区住民は府民の人口の1.1%だが、住宅戸数では9.8%をしめている。
第二に、空き家がやたらと多い。
第三に、家賃が破格的に安い。
第四に、住宅の管理や入居者の選考、家賃の設定などが、「解同」とそれと一体化した「地区協」がすべて取り仕切っており、ずさん極まりない。

角橋は、これらの不公正は、今回の家賃適法化を「突破口に」して、是正されなくてはならないという。つまり公営住宅法の改正そのものには賛成できないが、これを機に、同和住宅を「一般施策」に移行させる突破口にしようという。

全解連も上記の声明「同和施策住宅の一般対策移行に関して」のなかで、「〝応能応益方式〟の導入に反対しない」理由として、次のように述べている。

【全解連は、部落問題解決の到達点をふまえ、同和対策の終結・一般対策への移行を基本方針としている。仮に一般行政水準が同和対策よりも低い場合であっても、日本国民として共通の基盤に立った上で、一般行政水準の引上げのためにたたかうなかで自立・自治・連帯を培い国民融合を促進する立場である。/そうした立場からいえば、公営住宅法の「改正」に伴い同和施策住宅家賃にも「応能応益方式」が導入されることに対して、同和施策住宅を一般公営住宅に移行させるという全解連の立場からいえば、当然のことながら反対の態度はとらない。】

全解連にとって既得権を手放すことがいかに大変だったか、滲み出ているような文章だが、分かりやすく翻訳すれば次のようになる。

『同和対策によりわれわれが獲得してきた水準からすれば、新公営住宅法における一般行政の水準は低い。しかしこの際われわれもあえて応能応益方式を受け入れ、一般行政の水準にまで下りて行く。そして日本国民としての共通の基盤に立って、こんどは共に一般行政の水準を引き上げるように務める』。

ここで角橋と全解連の違いは微妙だが重大だ。どちらも同和対策の終結・一般対策への移行が部落問題解決のゴールだと見ているが、角橋の場合はそのゴールはもう少し先にあって、そこに至る前に、同和住宅の特別扱いをなくし、「逆差別」だと批判されているその実態を改めなければならないとする。そこに眼目がある。それに対して全解連の方は、やはり運動団体であるからか、同和対策ですでに獲得してきた既得権益としてより肯定的に見ている。その一般行政水準より高い位置から出発しようと考えている。

全解連よりゴールをもうすこし先の方に見ていた角橋は、同和公営住宅の不公正を示すものとして、上記の四点を挙げていた。その第一番目に挙げられていた問題こそ重要だ。現在でもその「逆差別の実態」はなんら改善されていない。それは部落における公営住宅の相対的な数の多さであり、同和地区住民が「特別に優遇され」、公営住宅を「過剰供給」されているという現実である。

第二の多すぎる空き家、第三の格安家賃、第四のずさん管理、のいずれも今ではほぼ解決され、同和住宅も一般の公営住宅と同じ一般施策の下にあると一応は言える。だが角橋が第一番目に挙げていた同和住宅の戸数の問題はまったく何も解決されていない。全解連の声明はその多くを角橋論文に負っているが、この第一の問題点だけは声明のどこにも見当たらない。参考にされていないのだ。林立する公営住宅は、いまでは同和地区特有の風景にまでなっているにもかかわらず、である。

じつはここには国民融合論の単純きわまりない特殊/一般論(一般対策化論)をゆるがす問題が控えている。はたして国民融合論が前提しているように、同和施策住宅を一般公営住宅に移行させさえすれば(現在がやっとその状態か?)、ゴールに到達したことになるのだろうか。すくなくとも同和公営住宅に関する運動は終わりを迎えることになるのだろうか。

一般公営住宅法に組み入れられることで、「逆差別の実態」を是正しようとした角橋ではあるが(国民融合論のなかの最良の知性)、一般の公営住宅法への編入はやはり運動のゴールではなかった。そうでないどころか、公営住宅の多さについては以前のままだった。一般公営住宅法の下でも、今に至っても、部落の差異(実態)は----同和公営住宅数の多さに関しては----なんら変化していない。<差異>は継続している。

そして部落に「過剰供給」(角橋)されたこの公営住宅は、部落解放運動の成果であると同時に、石元がいうように、部落に〝新しい貧困〟を育てる土壌となった。それは改良住宅以来の運動の成果であったが、まさにそれゆえに、同和住宅が一般公営住宅に編入され、そこに一般から入居募集されることにより、部落に不安定層を招きいれる土壌になってしまったのである。われわれはここでも、部落/非部落関係の終わることのない循環に気づかされる。

石元は、九〇年代、部落の公営住宅が応能応益家賃を受け入れたことにより、新しい貧困が生まれたと、肯定も否定もしないまま、客観的な階層移動で説明していた。(この点はブログで6月にとりあげた山田晏弘も同じだった)。しかし部落に公営住宅が「過剰供給」されたのは運動の結果であり、その多すぎる同和住宅に、新公営住宅法の家賃体系の適用を許したのも運動なのだ。

この意味で、現在の部落の新しい貧困も、同和住宅の建設というかつてはたしかに必要だった特別対策の結果なのであり、立派に----というのもヘンだが、アファーマティブアクション(差別是正優遇措置)の失敗例の一つなのである。

では九〇年代半ばの一般公営住宅法の受容が問題だったとすれば、それをどう受け止めるべきだったのか。また受け入れてしまった現在の同和公営住宅の何を、どう変えたら部落は、分不相応で過重な地域福祉の負担から解放され、〝新しい貧困〟から解放されるのだろうか。

D 提言----最後の同和行政

もし九〇年代半ばの同和住宅の新公営住宅法への編入を、部落解放運動は拒否すべきだったかと問われると、それに答えるのはなかなか難しい。たしかに一般の公営住宅法への編入により、結果的に安定層の流出だけでなく部落外からの不安定層の流入を招いたが、当初はそれが深刻な問題になるとは予想できなかった。むしろ所帯を分割するとか、なかにはセカンドハウス化や又貸しして既得権を保持しようとしたものまでいた、という。

角橋が先に指摘していたように、同和住宅の家賃は、部落内外の所得格差があまりなくなっていたにもかかわらず、破格的に安く、その管理・運営はずさん極まりなかった。家賃を払わないのは、転がり込んでいる友達の暴力団員だけでなく、公務員本人である場合も多かった。そういう段階で国民融合論が、同和住宅を一般公営住宅に編入し、「逆差別の実態」を改めるきっかけにしようとしたのは正しく、やむをえないことだった。すでに富裕化している一部の部落住民を、25%以下の低い収入の他の国民に交代させることには誰も反対できなかった。

部落解放同盟もこれを受け入れるという方向では同じだった。全解連より積極的ではなかったがが、できるだけ引き伸ばした後は、受け入れはやむをえないと考えていた。どちらにも「激変緩和措置」はありがたかったはずだ。

九〇年代の半ばにはまだはっきりしてなかったことも、2012年の今ならよく見える。それは同和住宅が新公営住宅法に完全に組み入れられたとしても、住宅をめぐる部落の既得権益はまだしっかり残っていたということだ。それが角橋も気にしていた、部落における公営住宅の異常な多さであり、この生活の安全弁を部落内に多く持っていることは部落の特権であり、守るべき既得権だった。

ふつう一般的に考えて、あるひとつの市町村自治体が、数においてその自治体にみあった公営住宅を擁し、地域社会のセイフティネットとしてこれを活用できることは、当該自治体の住民福祉にとって望ましいことだ。しかしもし部落のように、ある種のまとまりのある小地域の住民の半数もの人たちが公営住宅に住み、そこで高齢化、就労の不安定化、生活保護所帯の増加…などが進行したとするとどうだろうか。そしてさらに、他の地域からも収入の不安定な人たちがそこに流れ込んでくるとすれば、それはもう当該地域社会の崩壊を促すことになる。行政的にも、相対的に小さい自治体が相対的に大きいスラムを抱え込んでいるようなものだ。なぜ部落が外からの不安定層を受け入れなければならないのか。

国民融合論は、「特別対策を一般対策に移行させる」というまさに融合論にもとづき、同和住宅を一般公営住宅に解消しさえすればこの分野の同和行政は終わる、住宅をめぐる部落問題はなくなると考えた。過剰な同和住宅を一般の公営住宅法の下に編入することで部落外との<差異>(逆差別の実態)がなくなると考えた。しかしそこから応能応益制を通じて、部落に〝新しい貧困〟、新しい<差異>が生まれてくることに気づかなかった。

『同和はこわい考』は、「差別と貧困の悪循環」を絶とうとした運動と同和行政が、被差別の側に新たな心の貧しさ生み出していることを指摘した。差別/被差別の関係の悪循環が続いていることに警鐘を鳴らした。もはや現在の部落差別の結果とはいえない、公営住宅を通じての〝新しい貧困〟は、その循環の新しい局面だった。

刺青問題や〝同和不祥事〟にみられるように、公務員になって収入は安定しているはずなのに、なぜか荒んだままでいる被差別部落住民(の一部)、それと低所得の来住者のおそらく全体が、DVや子供虐待を引き起こしている。そして高齢化と生活保護化をともないつつ、全体として〝新しい貧困〟を形成している。

この貧困はしたがって経済的な貧しさだけではない。そのことを踏まえたうえで、公営住宅の応能応益制からくる部落の階層移動、それによる部落の貧困化をどうやってくい止めるか、つまり現在の部落の公営住宅をどうすればよいか、その具体的な方策を考えてみよう。

その方策はじつは簡単だ。後で見るように、法的にも今は可能な時期にある。
それぞれの部落が、部落を擁する地方自治体に働きかけて、部落内の公営住宅の救貧的性格をすこし薄めればよいのだ。具体的には部落内公営住宅(の一定割合)の入居資格を、現行の「25%以下」から「50%以下」に広げればよい。応能原則により収益は増えるので事業体(公団)も反対する理由がない。運動側が理論武装して自治体に働きかければすぐにでも実現できることだ。

平成21年11月の閣議決定で(首相管直人)、「地域主権戦略会議の設置」が決まった。副議長は片山善博で地域主権推進内閣府特命担当大臣だった。民主党政権は地方自治の理念だけは高らかに打ち上げたが何の戦略もなかったので腰砕けに終わった。だれもが認めるところだ。地方にあって改革を担う主体が形成されていないのだから無理もない、というより、地方で何かを変えたいという気もなかったのだから、中央に地方を変える戦略が生まれてこないのも当然かもしれない。この地方自治の理念はむしろ大阪の橋下改革により受け継がれた、とわたしはおもう。

それはともかく政府は、翌年1月、関係する41法律を一括改正する。どういう改正かというと、地方自治体の自治事務のうち、従来、「法令による義務付け・枠付けをし、条例で自主的に定める余地を認めていなかったもの」を改めるという。これからは自治体の自主性を強化し、自由度の拡大を図るため、義務付け・枠付けを見直すというのだ。これからは国が決めていた基準に代え、条例で基準を規定し、地方の独自性を発揮してもらってよい、というものだ。

例として、内閣府地域主権戦略室は以下の四点を上げている。このうちわれわれが関心を持つのは第二番目だ。
①児童福祉施設の設備及び運営に関する基準(児童福祉法)
②公営住宅の整備基準及び収入基準(公営住宅法)
③道路の構造の技術的基準(但し設計車両等の基準を除く)(道路法)
④市町村立幼稚園の設置廃止等に係る都道府県教育委員会の認可は、届出とする(学校教育法)

これらを「地方自治体の条例に委任し、これまでの「国の基準は基本的に〝参酌すべき基準〟」にしてくれればよい、とまで述べている。

今年4月、戦略室は「義務付け・枠付けの見直しに係る条例制定状況調査の概要」を発表しており、
それによると、1,641団体(91.7%)において、何らかの条項について条例制定に着手されており、公営住宅の入居基準につい関しては1,684団体中、1,286団体(76.4%)がすでに条例を制定しているという。

入居基準の見直しの多くは、入居資格を月収15.8万円(収入部位25%)以下から、25.9万円(収入部位50%)以下に引き上げるというのもので、その理由としては、「子育て支援、住宅の世代構成の多様化を図る観点からのもの」や「高齢者、未就学児童がいる世帯等」の支援が挙げられている。また中山間地などの「定住促進・地域活性化の観点からのもの」も多いと考えられる。(以上の資料はすべてネットで見ることができる)。

残念ながら旧同和地区の再活性化のため、という例はまだないが、地域が自治体に要望すれば、法的に可能であることは確かだ。そういう運動を起すべきではないだろうか。これは部落内の公営住宅に限り、一般とは異なる特別な公営住宅にしたいという要望であり、その意味で部落に特別な同和行政、最後の同和行政を求めることである。

これまで同和公営住宅は必要だ、安い公営住宅が近くにあればなにかと助かる、自分たちにとって有利だ、と信じられてきた。しかし既得権を手放すとはどういうことだろうか。自分たちが特別視され、同和政策の対象だとされてきたことに対し、自分たちの社会における位置づけを返上することであり、自らのイメージを返上することではないだろうか。それは被差別者が自分たちに当てがわれたレッテルに抗議し、そのイメージはふさわしくないと声を上げることではないだろうか。そしてそれは部落解放運動が何をするための運動なのか、部落差別をなくすための運動か、それとも既得権を守り、古い自分たちに留まろうとする運動なのかという問題にほかならない。

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