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「相対的貧困率」の嘘

参院選挙を前にした各党討論で、野党が事あるごとに出してくる数字に相対的貧困率がある。(その応用として子供の相対的貧困率というのもある)。日本は先進国(OECD)の中でも40何番目?かにその貧困率が大きいのだという。先日も安倍首相が党首討論でこれに反論していた。
①この数字はあくまで相対的な貧困率であって絶対的な貧困を示すものではないこと。
②この国連ユニセフの統計は古いものであり、最新の統計でも2012年までしか出ていないこと。つまり民主党政権(2009年~2012年)の結果でしかないこと。

しかし安倍首相のこの反論でも実はまだ不十分なのである。私もこの何年間か、朝日新聞やNHKの番組でよく見かけたこの議論、特に朝日は鬼の首でも取ったように何度も何度も日本批判としてこれを取り上げてきた。何か月か前にも一面全部を使って特集していた。

いわゆる従軍慰安婦で悪名高いクマラスワミ報告もたしか国連の女子差別撤廃委員会なる機関から出たものだった。そこに巣食う日本の反日NGO団体が事あるごとに日本を貶めようとして頑張ってきた。アメリカに並んで日本の数値が悪くなるこの「相対的貧困率」もきっと何らかの(日本人の)悪意がそこに反映されていると私は睨んでいる。

「ユニセフ」「相対的貧困率」を検索してみればわかることだが、この貧困率なるものは次のようにして算出されている。一国民の全世帯を所得順に並べ、そのちょうど中間の世帯の所得額(ユニセフの例では4万ドル)の半分(2万ドル)以下の世帯が、国民の何パーセントを占めるかという数値。

これによると日本のように中間層が比較的分厚く存在している国では、その相対的に高い所得額の半分以下の世帯が国民総数に占める比重はかえって大きくなる。しかも日本では高齢者の単身・二人世帯が急速に増えたためその数値も高くなる。逆に中間層が少なく、中位に属する世帯の所得額が極端に低い国では、その低い所得のさらに半分以下に属する国民の比率はかえって小さくなる場合がある。

では国民の格差を示す数値としては何が適切か。それを示すものとしては昔から「ジニ係数」というものが使われている。それによれば日本は先進国中、まだまだ低い方だ。0.38とか…。まったく健全なのだ。(ちなみにジニ係数とは、人の生産性格差の自然分布(直角三角形)からどれくらい凹んでいるか、その三日月形の面積を積分して出した数値)。

また国民総人口のうち、上から10%の人たちの所得(資産ではない)が、下から10%の人たちの所得の何倍かという統計では、日本は4.5倍。世界一平等な国になるという。(ただし税による再配分後では北欧に逆転されるはず)。所得比較では欧米先進国でも5~8倍。アメリカはそれよりはるかに悪く、中国はそれよりさらに悪くなるという。(数字は忘れた)。


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朝日VS産経

朝日と産経の二紙を併読していてよかった。今朝の産経新聞一面トップに、「国連委発言 朝日は2日間『沈黙』」「慰安婦誤報 自社への言及触れず」とある。
事の発端はこうだ。

日本政府代表の外務審議官杉山晋輔が、ジュネーブで開かれた16日の国連女子差別撤廃委員会で、慰安婦問題に関する事実関係を説明した。その際、朝日報道が「国際社会に大きな影響を与えた」ことについても発言した。
杉山はこの場で4回にわたり朝日に言及したという。

 「強制連行説は慰安婦狩りに関わったとする吉田清治(故人)による虚偽の事実の捏造(ねつぞう)で、朝日新聞社により事実であるかのように大きく報道され、日本、韓国の世論のみならず、国際社会にも大きな影響を与えた」
 「朝日新聞自身も累次にわたり記事を掲載し事実関係の誤りを認め、正式に読者に謝罪した」
 「朝日新聞は平成26年8月5日付の記事で20万人の数字のもとになったのは女子挺身(ていしん)隊と慰安婦を誤って混同したことにあると自ら認めている」
 
 日本政府が朝日報道に関して国連の場で説明するのは初めてだった。「事なかれ外交」でやってきた外務省が慰安婦問題で初めて動いたのだ。ところが朝日新聞記者も現地で取材しており、17・18両日付朝刊で杉山発言について伝えはしたが、肝心の自社(朝日)に関する発言部分については、一切触れなかった。産経見出しの「2日間沈黙」とはそのことだ。

じつは私も、17日付の朝日と産経を読み比べ、あんまり腹が立ったので朝日新聞社に抗議の電話をした。
「朝日新聞はかつての慰安婦報道で責任がある。それを自覚しているからこそ2014年の8月に読者に謝罪したはずだ。国連クマラスワミ報告や現在の韓国世論に関しても大いに責任がある。ところが今朝の朝日新聞で、杉山発言中の貴社にかかわる部分については一切触れていないのはどういうことか。いったい朝日新聞読者に対するあの謝罪は何だったのか。朝日新聞は政府批判や他者に対する批判においては手厳しい。しかし自らも大いに責任のあるこの問題で、自らに対する批判に対して触れず、答えもしないのは卑怯ではないか」。
「お客さま相談室」の女性はしっかり聴いてくれた…はず。

おそらくこのような抗議は他にもたくさん届いたのだろう。朝日新聞は19日付つまり昨日付で、「本社、外務省に申し入れ」の記事を載せる。朝日新聞東京本社報道局が18日、外務省に対し、杉山発言は「根拠を示さない発言」だとし、遺憾であると文書で申し入れたとのことだ。

ところが興味深いことに、その抗議文の内容がどういうものだったかについて朝日はほとんど報じていない。吉田清治の果たした役割については第3者委員会の報告でも意見が分かれた、と述べているだけだ。世界に広まってしまった強制連行説や20万人の性奴隷説に自分たちも責任があると認める気はない。杉山発言を報じた17日の記事そのものが、「不可逆的に解決」との見出しを掲げ、杉山発言は日韓合意に反しないか、韓国側の反発を招かないかと示唆するだけのものだった。要するにこの問題ではもう逃げ腰なのだ。

ところが今朝20日の産経新聞にはこの朝日の「外務省に対する申し入れ書」の詳細がほぼ全文載っている。そしてまたそれへの説得的な反論がまとめられている。

平成4年1月12日の朝日新聞社説「歴史から目をそむけまい」では次のように述べられていた。
「 『挺身隊』の名で勧誘または強制連行され、(中略)兵士などの相手をさせられたといわれる朝鮮人慰安婦」
「(朝鮮)女性には兵士の慰安という役割を強要」

この主張は翌5年3月20日の社説「日本の道義が試されている」でははやくも、自信なさげとなる。
「朝鮮半島からの労働者の強制連行があったのに、慰安婦についてだけは、強制がなかったと考えるのは不自然だろう」。

ここでは「強制連行」はすでに推測の問題へと後退してしまっている。
そしてこの後退は朝日が非を認めることのないまま続き、一昨年26年8月5日の朝日謝罪論文にまで続く。そこではこれまでさんざん議論してきた「従軍慰安婦」問題・「強制連行」問題は、もはや戦時下の「女性の人権問題」にまで後退する。

では跡に何が残ったか。韓国・中国は何も変わっていない。またそのプロパガンダのせいで、世界の多くの国では、今回の日韓合意により、日本が強制連行・性奴隷を認めたことになっている。(この話を信じられない方は、いちど「クマラスワミ報告」を検索して、そこに韓国人慰安婦による、身の毛もよだつような虐待・虐殺の作り話が「証言」として採用されていることを自分で確認すべきだ)。

しかし変わったことは何か。決定的に変化したことがある。それはこの問題における日本国民の成長だ。国民は何かに目覚めた。戦後的なもの、戦後リベラル的なものが国民により乗り越えられつつある。この地殻変動こそ河野談話から今回の日韓合意までの間に起こったことだ。そしてそれが河野談話とは異なり、今回の日韓合意をポジティブなものとして成り立たせているものなのだ。




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丸山発言、これのどこが人種差別??

今朝の朝日新聞。「失言 失態 自民続々」の大見出し」。「今度は丸山氏 米大統領を『黒人、奴隷』」との中見出し。丸山和也参院議員が参院憲法審査会で「同盟国・米国の指導者に対する人種差別にあたる恐れ」のある発言をしたという。野党3党は議員辞職勧告決議案を参院に提出したと…。何事かと思ってYouTubeで録画を聴いてみたら、何のことはない。以下のような発言だった。(「丸山議員 奴隷」で検索したら誰でも聴けるし、見れる)。ありがたいことに、こういうのをすぐアップし、これのどこが問題なのかと問いかけてくれる人がいる。しかもまたすぐ別の人が発言を文字に起こしてくれている。今の日本のマスコミを「マスゴミ」と呼ぶ人たちがいるがその通りだ。ネット社会は、岩盤リベラルのマスゴミを一瞬のうちに粉砕してしまう。

「たとえば、いまアメリカは黒人が大統領になっているんですよ。黒人の血を引く、ね。これは奴隷ですよ、はっきり言って。で、リンカーンが奴隷解放をやったと。でも公民権もない、なにもないと。ルーサー・キングが出てですね、公民権運動のなかで公民権が与えられた。でもですね、まさかアメリカの建国あるいは当初の時代にですね、黒人、奴隷がですね、アメリカの大統領になるようなことは考えもしない。これだけのですね、ダイナミックな変革をしていく国なんですよね」。

これのどこが人種差別なのか。ただアメリカ社会のダイナミズムを述べたかっただけだろう。それを新聞はこんな切り取り方をする。オバマ氏は奴隷の子孫ではない。父親がケニア出身というだけだ。丸山発言はこの無知を批判されても仕方ないし、上記前後の発言を聞いても、全体として何を言いたいのかさっぱり分からない与太話だ。しかし人種差別発言でないことだけは確かだ。
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朝日新聞のタチの悪さ…スズメ百まで

今朝の朝日新聞の片すみに、「公営住宅ある地域、家庭混乱」という見出しの記事を見つけた。なんのことかと思ったら、「馳文科相、講演で」の中見出し。

どうやら馳浩文部科学相が講演で、
「公営住宅のある地域の小中学校は、家庭が混乱している。子どもたちも日常生活が混乱しているのだから、なかなか授業に向き合える状況にはない」。
と発言したことをわざわざ取り上げているらしいのだ。

 全国の市区町村教育委員会の教育長約60人を対象にしたセミナーで馳氏が、「朝ご飯、晩ご飯も食べさせてもらえなかったり、洗濯さえしてもらえなかったりする子どもがいっぱいいる。風呂にも入れてもらえないという状況だ」などと述べた上で、「みなさんは現場で(教員)人事に配慮をしておられると思う。我々は大問題だと思っている」と語ったという。

結構なことではないか。おそらくその通りだろう。都市部落を擁する公営住宅の多くにそういう現実があることに注意喚起するのは、ほめられこそすれ、問題視されるようなことではない。立派な行政指導ではないだろうか。公営住宅に住む子供の現実を見て強く思うところがあったからこういう発言をしたのだろう。

ところがこの真っ当な発言に対して、ここに何か問題であるかのように、意味ありげに注意喚起するところに朝日新聞らしさがある。「公営住宅ある地域、家庭混乱」。戦後の左翼リベラルの一員として言葉狩りに参加してきた朝日の来歴を想い起させるものがある。

 「馳氏は講演後、朝日新聞の取材に対し、『教育困難な学校には適切な教員配置が必要だとの趣旨で申し上げた。公営住宅にお住まいの方々、ご家庭を軽んじるような意図はない。誤解を生むようであるなら申し訳ない。今後言葉には配慮したい』と釈明した」。

公営住宅に住んでいる子供たちの実情について、あるいはその教育について、ではどうすればよいのかを朝日は何も述べていない。それだけではない。インタヴューにより、馳氏の上記「釈明」を勝ち取ったという事実だけを述べて記事を終えている。それだけで教育行政のなにかの不備を衝いたというような気になって満足している。ベッキーのお相手、「下司の極み」?
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第三極とは何だったか

総選挙は自公の勝利に終わった。民主は議席をやや伸ばしたとはいえ、復活は今後とも無理だということをむしろ示した。問題は第三極だ。12年の選挙では自民・民主に代わる第三極として注目されたが、今回の選挙に至るまでの二年間において、混迷に次ぐ混迷を極めたといえる。

09年の結党いらい私も期待していたみんなの党は、安倍政権に寄ろうとした渡辺喜美と野党再編を目指した江田憲司に分裂した。江田はその後、結いの党をつくって維新の会に合流。維新の党として選挙に臨んだが、結果は現状維持、あるいはむしろ停滞だった。江田と別れた渡辺は浅尾慶一郎とともにみんなの党として残るが、この二人もやがて与党再編か野党再変かをめぐって喧嘩別れした。

他方、政界再編を太陽の党との合流から始めてしまった維新の会の橋下徹は、次には結いの党との合流を果たそうとして石原慎太郎とたもとを分かつ。石原らは次世代の党を結成するが今度の選挙でほぼ壊滅してしまう。

渡辺と江田の対立、また石原と橋下の対立(不可解な野合とその解消)、さらには渡辺と浅尾のミニ対立、これらはすべて、与党の再編を追求すべきか、野党の再編を目ざすべきかをめぐる深刻な路線対立だった。第三極の困難はすべてここにあった。

民主党政権時代に産声をあげた第三極の人々の最大の誤算、それは皮肉にも、保守であるはずの自民党のなかから、安倍政権というきわめて改革的な政権が誕生してしまったことにある。そのため第三極は、安倍政権に対して矛盾した対応を取らなければならなかった。すなわち党内の既得権益派や財務省派を一時的に抑え込めたことで成り立っている安倍政権を、一方では右から支持しなけらばならず、他方では、その改革の徹底を迫るためにも、民主党に手を伸ばして野党再編を追及せざるを得なかった…、そういうジレンマに立たされた。

「第三極」とはもともとみんなの党が言いだした言葉だったが、そのみんなの党が打ち出したインフレターゲット論が「アベノミクス」になった。維新の党もこんどの選挙で、もはやアべノミクスを前提にしたうえで、その不徹底を批判するしかなかった。「既得権益に斬り込み、実体経済を成長させる第三の矢がかけ声だけに終わっている」、それが問題だとマニュフェストで述べていた。

だが橋下徹が推し進めようとしている大阪の行財政改革は、規制緩和(正確には規制改革)を基本とするアベノミクスの第三の矢に包摂されつくさない。むしろアベノミクスを「右」から推し進めようとするものといえる。たとえば安倍政権の地方創生が、ともすれば旧来の財政的バラマキに終わりそうなのに対して大阪都構想は、地方行財政の縮小・簡素化・民営化に道を開くものだ。それによりGDP・従業員数ともに7割以上を占める「ローカル経済圏」(冨山和彦)の再編を実際には「右」から後押ししようとしている。

ローカル圏ではまだまだ低い日本の労働生産性を高めるには、既得権益に守られた「団塊の世代」の退職を待つことなく、限定正社員の導入をはじめ、雇用のルールを再構築しなおすほかない。「同一価値労働=同一賃金」の原則は全体としての雇用の流動化の中で実現しなければならない。いま解雇規制に守られているのは事実上は大企業の正規労働者だけであって、圧倒的多数の中・小・零細企業ではほとんど解雇自由。規制は有って無いようなものだという。

2015年は企業に対しても厳しく迫る必要がある。法人税を20パーセント台に減税する代わりに、「外形標準課税」を大幅に導入し、受益者負担の原則に基づき赤字の企業からも税を徴収しなければならない。これはきわめて分かり易く、有効な、企業再編への後押しだ。中小企業に対しても「退出」への補償や融資を図らなければならない

アべノミクスにより地価の下落に歯止めがかかったが、それでも下落し続けている都市や地方は多い。地方の人口減少に歯止めがかからない以上、自然な成り行きであるとはいえ、このバラつきに注目すべきだ。つまりすべての地方を「創生」することなどもはや不可能であり、取捨選択が要るということだ。「コンパクトシティ化と駅前商店街の復活」(冨山前掲)に限定される政策がこれからは必要になる。それには行政がきっかけを与えるほかない。

つまり何を言いたいのかというと、「みんなの党」にはじまり「維新の党」で終わった第3極は、安倍自民党に対して、基本的な間違いを犯していたのではないかということだ。「第3極」の名は保守の自民、リベラルの民主に対して、両者の間に立つ第3の極という意味だったが、もともと両者の間に立つことなどできなかった。まして経済(アベノミクス)以外は自公調整による緩慢な歩みで事を進めようとする安倍自民に対し、有効ではなかった。そうではなく改革的な安倍政権に対してより明確な改革を「右」から提案して迫る以外になかったのだ。これまでもそうだったし、これからはそれこそが存在意義となる。

今度の選挙で破綻が明らかになったのは、みんなの党と維新の党の第3極だけではない。もう一つ、じつは元祖第3極と言うべき民主党も、議席を少し増やしたとはいえ、実質的には敗北した。将来、野党再編の中心になれないことが国民に見抜かれ、突き放されたのだと思う。

民主党がなぜ元祖第3極なのか。それは民主党が90年代に、55年体制の「保守」と「革新」を構成してきた自民党と日本社会党の間から、その間にある雑多な中間物を糾合するようにして生まれてきたからだ。民主党はそうやって社会党に取って代わり、残った社会党は社民党になった。今回の選挙は、民主党という過去の第3極を含め、第3の極という政治的ポジションそのものを破綻させたことになる。

この選挙で共産党だけが躍進を遂げたことの意味は何か。55年体制という日本の古層が顔を出したということだ。共産党は自共対決の時代が来たと喜んでいるが、共産党や社民党が主導して野党をまとめ、自民党と対決することなどはこれからもないだろう。なぜならこれらの政党は実際にはリアルな政権構想を持っていないからだ。国家という国民に承認された組織体が、その限りで一定の価値を帯びた厳粛な存在(主権国家)であることを認めず、国家と個人をひたすら対立するものとのみ捉える。その意味では最も古い自由主義・近代主義(ジョン・ロック)にこれらの社会主義政党は立ち返っている。

しかしそれも納得の行くことだ。社会主義にシンパシーを抱いてきたこれらの政党にとって、近代の国家とはあくまで資本主義国家(階級国家)だ。したがってこれらの政党にとって政治活動とは、国家というものが本質的に労働者・国民・市民の利益に反するものであることを、政治・経済・社会のあらゆる分野で暴露し、啓蒙することとなる。その政策は、そこでのシングルイシューを、優先順位を付すことなく全部足し合わせただけのものとなる。社会主義の孤立と消滅に伴って彼らはもう隠れキリシタンのように自らの出自を忘れているが、国民の多数はすでに彼らのことを「左巻き」の「反日」勢力だと見抜いている。

問題は民主党自身がそういう古い、後退した議論しかできなかったことだ。集団的自衛権や特定秘密保護法(スパイ防止法)をめぐるこの間の議論を見ても、民主党の中にはアジアにおける中国の脅威など意に介さず、国家意識を欠落させたまま、大昔からの「戦争巻き込まれ論」や言論弾圧論を素朴に訴えるだけの人たちがいる。(大学やジャーナリズムや文化人など多数の…)。総理になって「初めて抑止力の大切さを学んだ」鳩山首相から、財務省の言いなりになって消費増税を取りまとめた野田首相まで、振れ幅は大きいが、古くからある左翼リベラルと自民党との間のどこかの位置に、自分たちのポジションを決めようという発想法によってここまできた。雑多な彼らを一つにまとめる求心力の根源はただ連合労組ではないだろうか。具体的にはグローバル企業の正規労働者と自治労組合員だ。

2015年からはどんな年になるのだろう。日本の古層の一画には、さきほど見たような55年体制以来の堅固な岩盤(共産・社民)がいまだに存在しているが、そこに将来、大きな政治勢力が生まれるとは考えにくい。民主党的なものが彼らを包摂するとも思えない。そういうことが起こらないまま、自公勢力が全体として肥大していくのではないだろうか。そうして維新の党のようなものがそれを右から批判する。自公勢力の分岐・分解を図る。それは当分の間、「政局」になるものではないだろう。新しいものはまだ見えていない。






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